7月14日にニュースサイト「日刊サイゾー」に掲載された記事を発端にして、Twitterを中心に性的マイノリティ論争が起こっている。
問題となった記事はサイゾー系列のビジネスニュースサイトから転載されたもので、『同性愛は6兆円市場?IBMも積極的にホモ採用のワケ』との見出しで「週刊ダイヤモンド」と「東洋経済」の特集を読み比べするというものだった。
両誌がそろってLGBT(レズビアン・ゲイ・バイセクシャル・トランスジェンダー)を特集したことを取り上げ、その傾向と分析具合を比較している。
記事の内容は特に問題がなかったが、見出しの「ホモ採用」という言葉に対して「侮辱的だ」との意見が上がった。文中ではLGBTと記載されていたが、見出しの分かりやすさなどを考慮して「ホモ」と表記されたようである。性的マイノリティは人権に関わるセンシティブな問題であり、文脈によっては侮辱語になり得るとの主張だ。
あるユーザーは抗議文をブログ上に掲載し、記事の削除と謝罪文の掲載を要求。それに対し、人気ブロガーの切込隊長こと山本一郎氏が「ホモがサイゾーに抗議している件で」というエントリを発表したことで、LGBTの当事者や識者らを巻きこんだ論争に発展した
山本氏は「話の言葉尻を捉えて『ホモとは何だ、侮辱であるけしからん』とか言ったところで、単に『心の狭いホモがいますね』で終わられる可能性を考えると逆効果」と分析。
また、LGBTという言葉が浸透していないためにサイゾー側が読者層を意識して「ホモ」という言葉を使ったのではないかとの意見に対し、思想家の東浩紀氏は「読者対象を考えて言葉を選ぶと差別になるのだとしたら、そもそも記事も作れなくなりますね」と指摘した。
サイゾーの記事をめぐる騒動は、山本・東両氏への批判にも発展。これは「理解を得るという目標を達成するためなら妥協もすべき」とする意見と、「遠回りになっても人権に関わることで妥協はできない」とする主張の対立ともいえる。
いきなり攻撃姿勢を示せば、性的マイノリティと世間の距離が今以上に遠くなってしまう可能性がある。だが、当事者にとってみればアイデンティティに直結する問題であるため、簡単には引き下がれないのも理解できる。
今回の件に限らず、性的マイノリティに関連した用語は正確な理解が難しい。ホモという言葉は、一般的には男性の同性愛者を指すだけのようにも思えるが、歴史的に蔑称として使われていた事実もあり、最近は配慮の意味も含めてゲイという言葉に置き換えられるようになった。
トランスジェンダーという言葉に至っては、サイゾーの記事中では「性転換者」といった書かれ方だったが、新聞では「性同一性障害」と訳されることが多く、そのどちらも間違いであるという意見もあるほど定義付けがされていない。既存の性に当てはまらないもの全てを、トランスジェンダーと捉える考え方もある。
このような議論が続く中、16日にサイゾー側は見出しの「ホモ」の表記を「LGBT」に訂正した。謝罪文は掲載されていないが、ある程度は抗議が実った形である。だが、こういった抗議によって「メディアがLGBTを怖がって扱わなくなれば、世間に性的マイノリティの理解を求めることが難しくなる」と危惧する声もあり、単純に喜べる話ではなさそうだ。
この問題は、2001年に『週刊金曜日』に掲載されたルポ記事「伝説のオカマ 愛欲と反逆に燃えたぎる」をめぐる"おかま論争"と似ている。同記事は同性愛者で活動家の東郷健氏を扱ったものだったが、見出しの「オカマ」が差別的だとして同性愛者グループが抗議した。
しかし、同時に別の同性愛者たちが「言葉狩りではないか」「被差別者の主張だけを基に差別問題を語るべきではない」と反論し、激しい論争となったのだ。
言葉は容易に人を傷つけてしまうほどの力のあるものだ。言葉を使う者は、差別や侮辱といった意味にならないように注意しなくてはならない。だが、これが行き過ぎれば言葉狩りに発展したり、事無かれ主義によって世間とマイノリティの溝を広めることにもなりかねない。
そういった意味では、こういった議論がなされるのは、無益な炎上やネットバトルと違って非常に有意義なことだったのではないだろうか
EXドロイド
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