「俺、ドMだから」、「君、ちょっとSっ気あるよねー」などと、恋愛の話になると、必ず1度は出てくる「SかMか」という話。すっかり一般的になった言葉で、性癖がどうのという場合だけでなく、広く日常のなかで、「他人をいじめて快感を得るタイプ」なのか、「他人にいじられて快感を得るタイプ」なのか、という意味でも使われていますね。「サド」も「マゾ」も実在した人物がルーツだということ、ご存知ですか?
「サド」侯爵は狂気の作家!?
サディズムの元祖とされる「サド侯爵」の本名は、ドナティアン・アルフォンス・フランソワ・ド・サド。1740年パリ生まれ。サド侯爵の「サディスティック」な奇行が有名になったのは、1772年のある事件。
ゲイの下男と一緒に、娼婦4人でムチで打ち、乱交を繰り広げるなどして、大スキャンダルに。さらに、サド侯爵は娼婦を媚薬で毒殺したとされて、死刑宣告を受け、刑務所に入ります。
フランス革命前の時期だったこともあり、以後、政治犯にもなるなど、忙しく入獄・脱獄を繰り返しますが、同時に,作家として『ソドム120日』『美徳の不幸』などの問題作を次々と発表。
どの作品も、非常に"サディスティック"な描写に満ちており、実生活でも、サド侯爵は数々の性的虐待を実行していたと言われています。そんな彼とその作品にちなんで、1886年、ドイツのクラフト・エービングという精神医学者が「サディズム」を命名。広く、「性的なものに留まらず、残酷さのなかに喜びを見出す傾向」をそう呼ぶようになりました。
奴隷宣言をした!? 「マゾッホ」
続いて、『マゾ』の元祖である、レオポルド・フォン・ザッハ・マゾッホ氏は、サド侯爵から遅れること約100年、1836年に現ウクライナで生まれます。厳格な警察署長を父親に持ち、本人も歴史教師に。やがて小説を書き始め、『毛皮を着たヴィーナス』という作品で、一躍その名を知られるようになります。
作品には、"苦痛に快感を覚える"青年の姿が描かれていますが、やはり彼も実際にその傾向があり、1873年に結婚、その夫人らとも、いわゆる"マゾ"な奇行に及んだと言われています。ちなみに、結婚の際に2人の間で交わされた誓約書は、こんなものだったそうです。
「私は名誉をかけて、ワンダ夫人の意のままにその奴隷となり、婦人が強要するあらゆることにさからわず、従うことを誓う」
関白宣言ならぬ、いわゆる「奴隷宣言」ですね。その後、彼の作品傾向と、彼自身の性的偏向をもって、サドと同じく、クラフト・エービングが『マゾヒズム』と命名。「精神的な苦痛や屈辱を得ることによって、快感を得る傾向」をそう呼ぶようになりました。
あなたはどっち? SとM
サドもマゾも変態だった……と言ってしまえばそれまでですが、世の中に問題作を投じた芸術的な作家であったことも、また事実。サド侯爵の作品などは、あまりの過激さ、残忍さから、一時期は表舞台から葬られていたそうですが、現在では文学的な価値も認められ、古典作品としての扱いを受けています。
サド侯爵やマゾッホのように極端な例は稀ですが、専門家によれば、現代のリストカットなどの自傷行為もマゾヒズムの延長ではないか、という意見もあります。「普段はSだけど、恋愛ではM」なんて人もいますが、実際、人の心はとても複雑。誰の心の中にも、ほんの少しは、「S」な一面、「M」な一面が潜んでいるのかも……(!?)しれませんね。
特に、恋愛関係においては、肉体的なものだけでなく、精神的な「支配」と「服従」、また「攻撃」と「甘受(受け入れる)」、という関係性が築かれやすい面もあります。SかMか、という心理傾向は、そのまま、性格の相性に繋がる場合も? 興味の強い方は一度、2人の作品を読んでみても面白いと思います!
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